自分の人生を生きる③
約半年前にブログをやろうと思い始めた後、何を発信していきたいのか?
少しそこで足踏みをしていました。
伝えたいことは喉まで出てたけど、どうも自分が自分に許可を出せずにいました。
足踏みをしていたのは『何か?』と言う理解が進み、改めて書き始めました。
前回は私がアバター®︎コースに出会った経緯などを紹介しました。
jibunnojinseioikiru.hatenablog.com
jibunnojinseioikiru.hatenablog.com
それからの私の人生の中での変化や色々な考え、そしてあらゆる場面を紹介する中で、
読んで下さる方の人生に何か役に立てるエッセンスになればと思いながら
今後また発信していこうと思います。
半年前にブログを書き始めたにも関わらず、足踏みしていた理由の一つが、私の両親に対する葛藤なんです。
その葛藤がどんなものだったのかを先にシェアしておきます。
それは私が高校受験を考え始めた頃でした。
小学校の卒業までは子供ながらに意欲満々でした。
そして卒業までに私たちの学校では将来に向けての文集を書いて、
そしてそれ以外に式では卒業証書を受け取る前に壇上に上がって、
一人一人自分の将来の目標を発表すると言う風習がありました。
人前でそれを発表するからには・・・と子供ながらに色々考えました。
私が発表した将来の目標は、
『人の気持ちのわかる人になって行く』でした。
男の子ならサッカー選手や野球選手、女の子なら看護婦さんやパン屋さんになりたいと
発表する友達が多い中、私にはそのような具体的な職業と言うものではなかったのです。
『人の気持ちがわかる人』。。
子供ながらに何故そのような漠然とした目標というか気持ちになったのかを
今でも鮮明に覚えています。
おそらく、その頃から将来について考えることが多かったのです。
行く学校を自分で選択して決めれるという高校受験に関しても喜びに満ちていました。
自分で行きたい高校について調べました。
その頃の私は将来、漠然とだけど国際的な仕事がしたいと思っていて、ある私立の高校に見学に行ってワクワクしていました。
そして自分が行きたい学校の話を親にした時のことです。
私が期待していた父からの第一声は『行きたいなら頑張りなさい!』というと言葉でした。
しかし、その期待とは180°違いました。
父親から返ってきた言葉は、
『女の子だから勉強は普通でいい!将来結婚して子供産んで旦那様支えて、家庭を守るのが女の幸せだ』
それに輪をかけて
『しっかり家の事を手伝いなさい。だから高校近くの公立に行きなさい』
でした。
このような父からの言葉が帰ってくるなんて思いもよりませんでした。
何故かというと母よりも父の方が私のことを理解してくれると思ったからです。
信じていたのに・・・行き場を失いました。
それまでは父が子供の将来に対して、私や弟に言ってきたことは
『やりたいことして生きなさい!』だった。
そんなことを言ってくれていた父だったのに・・・。
たった一言で何かが壊れていく感じでした。
今まで尊敬していた父なのに・・・
信頼していた父なのに・・・
少し文章が長くなったのでこの続きは次回にします。